気まぐれ日記 2010年12月

2010年11月はここ

12月1日(水)「9つ目のコラムを提出・・・の風さん」
 昨夜は毎月末と決めていた連載原稿を提出することができなかったので、今朝の寝覚めが悪かった。
 出社してからもイマイチ元気が出ず、色々なことはやったものの、ほとんどデスクワークだったため、健康にもよくなかった。
 明日と明後日の出張のため、荷物をたくさん抱えて退社した。
 今年もあと1ヶ月。少し早いオフを過ごしてしまったので、もう頭の中は仕事しかない。いけるところまでやるしかないのだが、いくらなんでも……という必達最低ラインは存在する。これをクリアできるかどうかで、大晦日の除夜の鐘の音色が変わる。
 今夜は、先ず、メールをいくつか送った後、コラムに取り組んだ。
 やや乱暴な内容になってしまったが、とにかく9つ目のコラムを書き上げて送信した。あと1つでコラムの原案は完成する。
 ベッドに入ったら、時間が遅いにもかかわらず、やけに目が冴える。楠木さんの面白い文庫『もぐら玄斎手控帳』を読み進んだ。

12月2日(木)「ナビからねぎらいの言葉が・・・の風さん」
 ミッシェルで出張した。ナビを使わなかったので、知っている目的地にもかかわらず、道に迷った(笑)。
 昼食にうな重を食べた。最近肉体的に無理しているので、これで少しはパワーを補えるかな。
 製作所に早めに戻れたので、たくさん仕事ができるかと思ったが、駄目だった。やはり仕事がのろい。
 帰宅し、車庫にミッシェルを入れようとしたら、初めての経験をした。6年前に購入したナビが、突然「お疲れ様でした」としゃべったのだ(女性の声で)! 驚いたぜ。
 思い出した。今日、出張先の駐車場で、ナビに自宅の位置を登録したのだ。
 明日も出張で早朝から出かけるが、必死で最後のコラムを書き上げた。
 11月末目標で残っているのは、連載原稿だけだ。

12月3日(金)「週末の激務は疲れる・・・の風さん」
 5時起床。昨夜の激しい風雨はかなりおさまっている。今日は上京するので、東京雨男としては「またか」とガックリきていた。
 最寄の駅までワイフに送ってもらった。1週間前に比べるとまだ外は明るい。しかし、朝が弱い、というか、寝不足に弱い私としては、つらい1日のスタートだ。
 名古屋駅の改札を通った先にあるスタバでコーヒーを買った。これで目を覚ますつもりだ。
 順調だったのはのぞみに乗車して30分ぐらいまでだった。
 新横浜から先はまだ大雨の影響が残っていて、新幹線は足止めを食っていた。そのため順番に各駅待機状態になった。
 ところが、それからがまたひどかった。信号機の故障と停電が発生して、待機時間がどんどん延びていったのだ。
 結局、東京駅に着いたのは1時間10分遅れだった。
 雨には品川駅あたりから追いついてしまった(笑)。
 目的地に着くころはその雨も上がっていたのだが、東京は銀杏の落葉が真っ盛りで、アスファルトは黄色く染められていた。
 二つの重要な仕事を終えて、帰りの新幹線に乗ったときは、さすがに深い疲労を感じた。
 珍しく弁当を買って食べた。
 持って来た文庫を朝から全く読めていない。
 帰宅し、リビングでワイフに土産話をしているうちにソファで沈没した。

12月4日(土)「仕事も遅いが勉強も遅い・・・の風さん」
 結局、ソファでちび助と一緒に朝を迎えた。ちび助が足元にいたので、暖かかった(笑)。
 午後、名古屋へ帰る長女を駅まで送った後、やっと連載原稿の続きにとりかかった。
 時間はたっぷりあって、絶対に終わると確信していたのに、できなかった。
 仕事がのろいだけでなく、初めてのテーマに挑むと、知識不足が顕在化する。執筆しているのか、勉強しているのか、分からなくなる。そうだ。私は勉強の速度も遅いのだ。
 深夜、ざっと書き上げたところで息切れした。
 明日もあるさ、と今夜はあきらめることにした。

12月5日(日)「やっと時代小説文庫の構想に着手・・・の風さん」
 午後やっと連載原稿ができて、出版社へ送った。予定より1週間遅れである。ディズニーシーへ行く前にこの状態になっているのが理想だった。目標だった。
 今日もおだやかな天気である。人生の最終コーナーがこんな感じかもしれない。しかし、私はそれすら気付かずに最後の直線に突入し、無我夢中でゴールしてしまうのかもしれない。
 今がもうラスト100mだったりして……。
 夕方から2週間ぶりにトレーニングに出かけた。
 体重計に乗ったら、人生史上最重量だった(涙)。不健康な生活をしているのだ。
 腕を伸ばすと痛い。また五十肩になりかかっている。くそ。負けるもんか。
 連載原稿が終わった直後から、不思議と時代小説文庫のアイデアが浮かぶ。
 マルチ人間の看板を掲げていながら、実は頭脳の働きは一つずつしかできないのかもしれない。やばい。ばれないうちに仕事を片付けていかねば。
 正月休み明けまでに、やることが山のようにあるぞ。

12月6日(月)「普通に暮らすと何もできない風さんの巻」
 久しぶりに睡眠時間を確保して1週間が始まった。天気も上々。この勢いで年末を乗り切りたい。
 出社して、懸案事項を次々に片付けていった。
 しかし、昼休み直前に早くもエネルギー切れ。
 なんなんだぁ〜?
 昼食後、席でひたすら沈思黙考……といえばカッコいいが、目を休めていただけ。
 帰りにミッシェルに給油してから帰宅。
 「お疲れ様でした〜」ナビがねぎらいの言葉をかけてくれる。
 12日のサイエンスカフェの予約状況がかんばしくないとのことだったので、あちこちへお勧めメールを送った。常連客が多いので安心していたのだが、甘かったのか。
 今週から睡眠時間確保が目標なので、もう就寝モードになってしまった。
 ベッドの中で、時代小説文庫のための資料を読み始めたら、……もうだめ。眠くて我慢できなくなってしまった。昨日のトレーニング疲れも、今頃襲ってきたような気がする。

12月7日(火)「将来の日本をいつも心配している風さんの巻」
 社内で早くも来年につながる仕事に着手した。本業の小説家はいつも遅れに遅れているのに、会社の仕事は早い(?)。
 午後、かつての戦友(昔のプロジェクトで一緒だった人)が突然席に来られ、一枚の紙を開いて見せてくれた赤紙(召集令状)ではなく、その逆、退職届けだった。
 えー!?、定年退職ぅ〜? 自分より年上だったのだ(笑)。
 しかし、笑ってはいられない。
 夕方、来客があった。2年前に展示会で名刺交換した相手で、営業活動に寄られたのだ。
 初めての訪問らしく、無駄足にならないように、事前によく説明してあったが、ついででもあるからと言うので了解して会った。
 ホームページで見た限りでは、とっても良い会社で、会ってみたら、なかなかの人物だった。まだ28歳と若いが、将来の日本を支える人材の一人になりそうだ。
 いちおう先輩として経験談を語り(いったい何やってんだか)、最後に、正体も明かして、自分の宣伝までしてしまった。文庫を買ってくれるかもしれない(笑)。

12月8日(水)「エンジニア作家、時計を勉強・・・の風さん」
 またまた作家業のために有休。
 今回はミッシェルでなく新幹線を利用して近江神宮時計博物館へ行った。
 先月下見した垂揺球儀の写真撮影が目的である。
 出版社の編集の方が段取りしてくれ、私は、間重富に詳しい大阪市立科学館の学芸員の方と、歯車に詳しい大阪の会社の社長さんに声をかけた。
 完全に作家としての行動なので、風来坊スタイルである。
 副館長に案内していただいたが、現代の名工でもある方で、200年前の垂揺球儀を動作させてくださったのには感動を通り越して驚愕した。まさか今でも動くとは予想もしていなかった。あんまりうろたえてしまったので、冷静さを欠いてしまい、ちゃんとした写真撮影が私はできなかった。
 垂揺球儀を内部も含めてしっかり見学でき、歯車の歯はサイクロイドに近いことを教えてもらった。すべて手作りである。
 時計宝飾眼鏡専門学校にも案内してもらい、懸命に時計の技能を磨いている生徒の姿を見て、また圧倒されてしまった。掛け時計から腕時計まで3年間でみっちり修行するそうだ。直径80ミクロンの軸を旋盤につけ、手バイトで加工しているところも見た。歯車の歯割をするスイス製の小さな機械(ほとんどからくりに近い)も見せてもらった。原始的なホブ盤である。
 技能五輪の話を出したら、デンソーのことも知っていて、盛り上がった。時計の種目は、日本が強過ぎて、途中でなくなってしまったのだそうだ。あらゆる分野が、政治をからめて日本の独走を妨害するように運営される。それが世界の常識だ。同じマネをするのはみっともないが、そういうことを知っていてグローバル時代を戦わなければならない。日本の政治家はちゃんと知っているのだろうか。
 帰りに京都駅ビル10階にある空中径路に寄った。幕末明治維新に活躍した人物のパネル展示がされているので、小栗上野介忠順のパネルを見に行ったのだ。
 私の場合、単に見て勉強するのではない。ちゃんとした正しい認識に基づくパネル製作になっているか確認するのが目的である。
 全文を読んで安心した。
 帰りの新幹線で、今年やっと34冊目の読了を達成した。

12月9日(木)「バイオリズムが低調・・・の風さん」
 昨夜、根性で郵便物を3通作成し、出社途中で投函した。掲載許可をしてくれた各機関へ、掲載誌を送ったのだ。こういう雑用がたくさんあって、けっこう精神的な負担が大きい。
 会社では重い疲労感で終日元気が出なかった。
 帰りにまた買い物をして帰宅。雑用が多い作家だな、まったく。
 夜は、たまっていたメールを一気に発信した。そのほとんどが、新たな掲載許可申請がらみである。原稿を自分で書くのは当たり前だとして、私の場合、出版社や編集者がやってくれそうなことまで自分でやっている。
 何でも抱え込んでしまう性格もある。幕の内弁当を食べるとして、隅々まできれいに平らげるタイプなのである。
 明日は返信メールの嵐になるかもしれない。

12月10日(金)「時空のクロス・・・の風さん」
 元気に起きられなかった。
 午前中は会議が連続していたが、出張の時刻が迫ったので、途中で退席。
 席を立つ直前にメールチェックしたら、うれしい知らせが届いていた。
 5月に投稿し、厳しい査読結果に、一時は投稿取り下げを覚悟した論文が、日本機械学会生産システム部門の優秀講演論文に選ばれた(らしい)のである。
 大野先生の励ましが書き直しの決断を誘導してくれた。そして、何と言っても、論文の中身が、元部下たちの優れた研究業績なのである。私はそれを論文の形で表現したに過ぎない。
 (まだ内定だとは思うが)感謝の気持ちでいっぱいになった。
 出張先では、会社の同期入社で、今は私の母校の教授で、国際的な研究者として活躍している友人が講義をしていた。同期入社という、人生の一瞬で交わった人間が、あるきっかけや決断によって人生が変わっていく。そして、永遠に二度とまみえることがないこともあるが、今日のようにたまにまた時空でクロスする。
 私は、講義の途中で抜けて、大野先生のところへミッシェルで直行し、受賞(内定)の報告とお礼の挨拶をし、また出張先へ戻ってきた。
 友人の講義はまだ続いていた。
 ここでの講義が終わると、明日からは上海に行くとか言っていたな。
 次に会えるのはいつだろう?

12月11日(土)「歓迎:山本悦子さん・・・の風さん」
 普通に起床し、作家業に励もうと書斎にこもったが、イマイチ元気が出ない。
 それで、気になっている多くの事柄の中から、連載誌への掲載許可申請がらみの仕事を始めたら、これがけっこう手間取った。
 午後になってからも、どうにも気合が入らない。
 だらだらと過ごしているうちに夕方になってしまった。
 今日は、自主的に始めた文章サークルの第4回目で、同じ知多半島に住む児童文学作家、山本悦子さん(多くの優れた作品がある)を招いて講話会と懇親会を予定している。誘ったのは私だが、準備はほとんどサークルのメンバーがやってくれている。直前に私がやったことは、山本悦子さんのプルフィールを含めた配布資料を作成したことだけだ。絶不調の中で、これだけはちゃんとやった。
 早めに講話会の会場となる図書館へ行った。
 待っていると、山本さんも早々と到着した。
 会うのは、実に10年ぶりである。彼女は全く変わっていない。私は著しくボケた。
 聴講者は女性が圧倒的に多かったので、異常な盛り上がりを見せた。
 彼女の執筆裏話は、作家業の厳しさを明瞭に伝えてくれたし、オリジナル紙芝居の上演は、引き込まれるほど見事なものだった。
 無理を言って持参してもらった本もかなり売れた。
 その勢いで、場所を変えて懇親会となった。
 海岸のすぐ近くの料理屋だった。ここは観光地なので、こういった施設には事欠かない。
 隣室がカラオケなどもやっていて騒々しかったが、こちらは親しく交流ができた。
 地方にいても、本物の作家と触れ合うことができるという証明ができた。
 それは成果だったが、だからといって、私が売れるわけではない。
 「鳴海先生って、どんな作品を書いているのですか?」
 サークルメンバー以外は、こんな質問をしてくるのだ(涙)。
 
12月12日(日)「江戸時代の数学人気・・・の風さん」
 深川英俊先生のサイエンスカフェの日である。
 長男が友人を誘って来てくれるというので、参加費を大盤振る舞いすることにした。こういうのを親馬鹿というのだろう。
 今朝も寝坊せずに起きたのだが、パワーが出ない。やることはいっぱいあるので、迷っている場合ではないのだが、どうしても一番気になっている仕事を片付けたい。会社で学んだ、優先順位、重点志向である。チームで仕事をする会社の場合はそれが正解だが、どうも個人は違うような気がする。あるいは、自分という個性がそれになじまないか、不適格なのかもしれない。
 ということで、サイエンスカフェに出かける寸前に、物置から灯油のポリ容器を取り出して、屋外タンクへ給油したりするのである(笑)。
 優先順位の高い創作活動に比べて、ひと汗流すことのなんと爽快なことか。
 カフェの会場に着いて、受付に長男が来ているか聞いた。すると、もうおみえになっています、との返事。
 「友達も一緒ですか?」
 「はい。お二人です」
 「友達は、男ですか女ですか?」
 「男性の方です」
 「なーんだ」
 期待外れだった。
 他にも声をかけた方がたくさん来てくれていて、うれしかった。会場はほぼ満員で、深川先生の舌の回転も絶好調。本音や暴露話が強烈。特に、あれこれこだわって膨大な仕事量をこなしても、ビジネスとして収支が合わない点が、共感できた。とにかく超面白い講演だった。
 わざわざ大阪からかけつけてくれた知人と、ビルの上の階にあるオイスター・バーへ行った。
 あちこちで顔を合わせる方だが、じっくり話し合ったことがなかった。
 このときとばかり、あらゆる事柄について情報交換、意見交換をした。
 すごい方だった。私の10倍は密度の高い人生を歩んでおられる。
 そういう方の前で、酔った勢いもあって、かなりの大言壮語を並べてしまった。
 実行すればやっとまともにお付き合いできるだろう。
 帰宅したら、先日壊れたドアホンの子機が直って戻っていた。結局、電池不良だった。
 充電して操作してみると、ちゃんと使えた。
 訪問者の顔を見て応対できる子機が1台増えたので、これは2階に置くことにした。
 夜もやっぱり気合が入らず、だらだらと雑用をし、さっさと就寝した。

12月13日(月)「仮説を力説・・・の風さん」
 書き入れ時の週末に十分な仕事量をこなせないまま、また月曜が始まった。そのうちノイローゼになるかもしれないな。近年はうつ病というらしいが。
 出社してから、前もってやろうと思っていたことを次々にこなしていったら、午後の出張時間を過ぎてしまった。で、出張は中止。
 得られた時間でマネジメント雑誌を読んでいたら、内容の充実ぶりに驚愕した。日本のモノづくりは、月刊誌ひとつをとっても芸術品のような完成度がある。自分の非力を痛感してしまう。……こういう精神状態をうつ病というのだ。
 今夜は、まっすぐ帰宅せず、半年ぶりに歯科検診に行った。特に問題がなくても、歯石をとってもらう必要があるのだ。痛いが快感のすぐ隣ともいえる。こういうのをMという。ま、冗談はともかく、1日に3回歯磨きをしている風さんでも、歯石はじゃんじゃんたまってしまう。きっと歯磨きも下手なのだ。
 夕食後、ワイフに持論をふっかけてしまった。仮説「文学と経営学は一致する」である。怪訝な表情をされた。あまりにも高尚な議論なので、この反応は当然かもしれない。昨日、ワインを飲みながら知人に語ったことと基本的に同じである。

12月14日(火)「気持ちよく飲んだあとは・・・の風さん」
 今夜は飲み会のため、いつもより1時間も早く起きて、電車で出社した。これで会社への到着時間はふだんとほとんど変わらないのだから、公共の交通機関がいかに不便なところに勤務しているかわかるであろう。
 会社の同僚にメールを送った。今日が第二子の予定日だと聞いていたので、その結果を知りたかったのだ。先週のうちに次男が誕生したという、いかにもうれしそうな返信があった。
 アメリカから帰任してきた元部下からもメールがあった。赴任中に生まれた第二子も、彼にとって次男だった。あらゆる面で生活が激変するだろうが、発展中のファミリーは充実した日々を過ごしているだろう。
 定時後、会社バスと電車を乗り継いで、飲み会の会場へ行った。
 ふだん話さない人たちと本音の話をしながら飲んだので、とても楽しいひとときだった。
 かなり酔ってしまい、電車の中で眠りこけた私は、降りるべき駅を通り越してしまった。次の駅に着いたときのアナウンスで運良く目が覚め、慌てて飛び降りた。
 満天の星空の下、住宅街の洒落た家々を眺めながら、帰宅した。

12月15日(水)「新職場で議論・・・の風さん」
 来年から会社で新しい仕事に取り組むことになっている。職場も本拠地が変わる。これまでコツコツ勉強してきたことが役に立ちそうな内容である。仕事の企画・構想には当然提案できるので、いつもあれこれ考えている。その同じ頭脳で、同時に、小説の構想も常に揉んでいるのだからややこしい。同時とはいっても、時間を細かく見れば、TSSと言って、短時間に分割して次々に違うことを考えているのだから、理想的な同時並行やマルチなんてことは、個人レベルではできない。
 午後、その新職場へ出張した。秋晴れと呼ぶにはもう師走も半ばで、年が明ければ、老体にはつらい寒い季節になってしまうが、空は青く晴れていて、気分は良い。しかし、ときおり頭の右側がずきんと痛む。偏頭痛だが、表層的な感じもする。
 しっかり議論して新たな情報も入手し(色々と深刻な問題がありそうだ)、そこを失礼した。
 今夜は職場のボウリング大会らしい。私もそのうち参加することになるのかもしれない。もう何年もやっていない。すっかり足腰が弱ってしまったので、このままでは悲惨なことになる。成績だけならいいが、悪くすると手首や足首の筋や腱を痛めてしまう。そう思うたびに、トレーニングをしなければ、と思うのだが。
 灯油やレターパックを購入して帰宅したが、家は真っ暗だった。
 相変わらず偏頭痛がサイクリックに襲ってきて、思わず顔をしかめてしまう。
 寝る前にまた郵便物を用意した。必死だった。

12月16日(木)「意外な出会い・・・の風さん」
 今日も朝から偏頭痛がする。風邪のような気がするので、出掛けに風邪薬を飲んだ。
 午前中、痛みに耐えながら、来年の仕事のための資料読みをした。昼食後、意を決して、頭痛薬を飲んだ。今夜は忘年会を二つハシゴするので、できるだけ席で安静にしているように心がけた。
 製作所から会社バスに乗った。本社のある市の駅まで行けるのである。バス内ではうつらうつらしていた。駅前に着いたので、最初の忘年会の会場へとフラフラ歩いて行ったら、どうも風景が妙だった。駅の反対側に着いていたのだ(笑)。
 最初の忘年会は現職場(センターレベル)主催なので、来年も兼務するが、私はいちおう転出者として紹介された。ほとんど冗談みたいな挨拶(作家を前提にした)をした。頭痛はいくらかおさまっているものの、不調は否定できない。あまり受けなかったのではないか。
 そこからタクシーで次の忘年会へ。来年からの職場(センターレベル)主催である。こちらは座敷で和気藹々と盛り上がっていた。アットホームな雰囲気があって、すんなり中へ入れた。いちおうまじめな会社員としての挨拶をしたが、私を作家だと知っている人は多かったようで、すぐそんな話になってしまった。それなら、と宣伝に努めた(笑)。
 意外な出会いがあった。入社以来名前を知っていた会社のコア人材と初めて会ったのである。話してビックリ。秋田高校の同窓生だった。立派な人物と思っていたし、見た感じも私と違い人格者そのものだったので、「先輩。お見それしました。以後、よろしくお願いします」と頭を下げたのだが、さらに話しているうちに、こちらが1年先輩であることが判明したので、私は豹変し、胸をそらした(笑)。秋高の同窓生と会えるのは実にハッピーである。
 この忘年会ではビンゴ大会もあり、賞品はお酒だった。当たった人はすぐその場で開けて、皆に注いでまわるという、恐ろしいルールだった。

12月17日(金)「タイムマシン・・・の風さん」
 今日も偏頭痛対策で、風邪薬と頭痛薬を飲みながら乗り切った。ワイフからは「そのうち死ぬよ」と何度も警告されたが、今病院へ行っている余裕はない。
 今日は朝食抜きで出張した。
 新職場で事務的な相談をし、その後、本社へ移動して、後輩にある仕事の初期段階の様子を語ってもらった。来年の仕事の一環である。気楽に話してもらうため、社内の喫茶店へ誘った。
 開発の初期段階、手探りの実験をしていたころの話だが、可能性を探るため、次々にアイデアを出していった様子や先輩からのアドバイスなど、感動的な内容だった。
 何とかぶっ倒れることなく、帰宅できた。
 夕食後、執筆マシンに向かったが、イマイチ元気が出ない(当然だろう)。
 ネットで「科学者が語るタイムマシンの可能性」を観た。重力場における時空の歪みにまで続く、47分もの大作だった。これは役に立った。
 いい加減にして寝ようと階下へ降りたら、珍しくワイフがいて、妖しい雰囲気をかもし出していた。
 「一杯飲む?」ときた。
 ワイフも仕事で議事録を書くという厄介なことがあり、それから逃げようとしているのだった。
 同じ逃避行動をとっている者同士、ここは付き合う必要があった(酒飲みの言い訳か)。

12月18日(土)「セクハラ上司・・・の風さん」
 朝のうちは比較的体調がよかったので、来年1月の講演タイトルやその内容について考えて、地元の図書館へメールした。やり始めればすぐできることなのだが、これだ、と決心するまでがなかなか難しいのだ。結局、図書館と自分との関係について語ることにした。自分の考えとその変化がポイントである。
 昼前に姓名判断の南山誠林さんからケータイに電話があった。浅草にいて、知人とこれから源空寺に行くという。つまり、高橋至時、景保父子そして伊能忠敬の墓を見学するのだ。私は3回くらい行っているので、しっかり説明してさしあげた。
 午後から、来週の講演の準備に着手した。
 また偏頭痛がひどくなってきたので、頭痛薬や風邪薬を飲んでみたが、あまり効果がない。
 夕方から電車で名古屋へ出かけた。
 職場の忘年会に出席するためだ。
 100人近い大規模な忘年会である。
 うちの職場の良いところは、身分の分け隔てがあまりなく、男女の距離感もぐっと近い。型破りの上司である私に対する警戒心もほとんどないので、女性となれなれしくしても嫌われる恐れは少ない。酔った勢いで思いっきりセクハラしてストレスを発散したが、また偏頭痛がひどくなってきた。
 私ほど現場の人たちを愛している上司はいないのではないかと勝手に自慢しているが、偏頭痛が強烈に「それは勘違いだ」と釘を刺してきているような気がする。
 帰りの電車で本を1冊読了した。今年36冊目になる。

12月19日(日)「7か17歳に戻りたい・・・の風さん」
 今日も強烈な偏頭痛がときどき襲ってくる中で1日が始まった。
 児童文学に収録する主人公の「略年譜」のゲラ校正をし、返送の準備をした。本文のゲラ校正に未着手なので、せめて「略年譜」だけでも、と思ったからだ。
 昼過ぎに家を出た。忙しいときに限って外出しなければならない。相当なストレスではある。
 名古屋駅で用意した郵便物を投函した。
 国立天文台の渡部潤一先生のサイエンス・カフェを聴講した。冒頭からジョークが入っていて、観衆をとりこにしてしまう。実際はかなり難しい内容でも、平易な説明で納得してしまう。おおらかで独特の笑い声を発し、雰囲気がなごんでしまう。さすが「国立天文台の顔」と呼ばれているだけのことはある。
 トークは1時間ちょっと、質疑は50分ほどだった。質疑がまた圧巻で、難しい質問がときおり入るのだが、専門用語をほとんど使用しない。これには感服の一語である。どんなことでも厳密な意味まで理解されているからできることなのだろう。私のように一知半解の中途半端野郎は、足元にも及ばない芸当である。
 トークの勉強になったが、どこまで真似できるか、今後の精進にかかっている。
 知人と近所の大型書店へ行った。私は前もってメモしてあった本を検索し、在庫のあるものを2冊図書カードで購入した。
 再びサイエンスカフェに戻った。
 今夜は、一種の忘年会ともいうべき「ガリレオ・パーティ」だった。昼間の渡部潤一先生も残って参加されている。
 突然ミーハーになった私は、最大のゲスト、ノーベル物理学賞の益川敏英先生にお目にかかるのが目的である。
 本当に来られるのかどうか半信半疑だった面もあったが、いらっしゃった! 昨年、白鳥ホールの2階席から舞台上の先生を遠望したが、今夜はすぐ近くにおられる。
 今年のノーベル化学賞の北海道大学名誉教授鈴木章先生もそうだが、思っておられることをストレートに発言される。それが科学者らしい本質的なご意見なので、私はとても好きである。
 益川先生が本当にサイエンスカフェに来られたのは、決して偶然ではなく、こういった活動に賛成しておられるからだった。科学者が一般の方と積極的に交流することの意義を認めておられるのだ。その背景には理科ばなれ、教育の欠陥などがあろう。
 先生がお帰りにならないうちに、と早めにご挨拶にうかがった。
 名刺を差し出し、「江戸時代の数学者をテーマに小説を書いている鳴海風と申します……」と申し上げると、先生はメガネをずらして私の名刺をじっと見つめながら、やがておっしゃった。
 「あなたの小説を読んだことありますよ」
 ええーっ! ほんまでっか?(なにも大阪弁になる必要性はないのだが、気持ち的には、それだけ驚いたということ)
 先生が作品名を思い出すのに時間がかかりそうだったので、すかさず
 「『円周率を計算した男』ですか」
 と尋ねると、
 「そうそう」
 私は舞い上がった。
 その後、サイエンスカフェに登壇した人たちの1分間スピーチがあり、私の順番もまわってきた。
 「今日、お昼のサイエンスカフェで、渡部潤一先生は、小学校のころに、宇宙には知られていないことがたくさんあると知って天文学者になる決心をされたとうかがいました。私は、小学生どころかもう57歳になってしまいました。ところが、さきほど益川先生にご挨拶したところ、なんと私の小説を読んだことがあるとうかがって、年甲斐もなく舞い上がりました。私が57歳でなく、7歳か17歳だったなら、今日、小説家から物理学者を目指す決心をしたことでしょう」
 
12月20日(月)「とうとうロキソニンを服用・・・の風さん」
 偏頭痛が続いても頑張るしかない。少しずつでも片付けていかないと、大変なことになる。たった一人の事業というのは、責任が重い。
 出勤途中で、今朝も郵便物を1通投函した。
 朝一番から会議が続き、それが終わって、ようやく自分の仕事に取り掛かった。会社でも自分がやらねばならないことがたくさんある。隣席の同僚に「忙しくて死にそうだ」とぼやきながら(これがストレス発散になっているのだ)次々に処置していくのだが、そうやっているそばから新たな課題が生じてくるのが会社というものだ。
 昼過ぎになっても、予定のアイテムがなかなか処理できない。
 結局、途中で断念して、早めに退社した。
 夜、とうとう我慢できなくなって、頚椎症のために確保してある痛み止め「ロキソニン」を服用した。
 明日の講演のためのスライド作成を夢中で続けた。

12月21日(火)「小説家であり会社員でもある鳴海風の講演の巻」
 朝、ワイフから、今日は雨になる、と言われた。
 午後から電車で名古屋へ出張したのだが、傘を持参した。荷物が増えるのは嫌いなのだが仕方ない。天気予報も夜は雨になると報じていた。
 来年度からまた生産技術研究部会に復帰するので、その打ち合わせのため、JMAに行った。
 知らないうちにオフィスを引っ越していて、初めてのビルである。しかし、名古屋駅からのアクセスは非常に便利だ。以前オフィスがあったビルの1階には、今はサイエンスカフェがある(ってことは、サイエンスカフェは名古屋駅からやや遠いということだ)。
 最初の集まりで講演を依頼された。ありがたいことに、鳴海風として講演してほしいという。次第に小説家と会社員の人格がクロスしてきているので、これは持論(文学と経営学の一致)を展開するとても良い機会になりそうだ。
 最近の講演の事例をその場で紹介した。
 来年の講演は、4月である。
 外の世界がたそがれ色になったころ、地下鉄とバスで、愛知学院大学へ向かった。
 目的地に着くころには空は重そうな雲に覆われていた。
 愛知学院大学日進キャンパスの構内には初めて入った。広々としたキャンパスに大きな建物が林立している。
 できればもっと樹木に覆われている方が歴史や伝統を感じると思う。
 下校していく学生とすれ違うが、あまり多くない。
 今夜の講演は主に経営学部と文学部の教職員で、表向きは会社員としての話だが、やはり小説家としての話を入れないと私らしさが出ない。
 遅い時間に恐縮ではあったが、1時間半話させてもらい、その後、30分の質疑応答となった。
 質問はクロスオーバーな人生を送っている私に対して、さまざまな角度から浴びせられたが、人生経験の長い(要するに老人だということだ)私は、それなりの回答と、分からないものは分かりませんというお詫びでしっかり受け答えした(つもりである)。
 私の勤務先についてよくご存知の先生がいてうれしかった。
 私はジョークも飛ばしたが、真剣にまじめに聞いてくださる先生が多く、少々バツが悪い場面もあった(笑)。
 講演も終わって、真っ暗な外へ出ようとしたら、強い雨が降っていた。
 近年は天気予報がよく当たる。
 バス、地下鉄、名鉄を乗り継いで帰ってきたが、自宅までの最後の道は、風雨の中を徒歩だった。
 自宅には誰もいなくて、冷蔵庫を開けたら、食べる物が何もなかった。
 仕方なくカップ麺を探し出して、お湯を沸かして、それを夕食にした。
 飲み会で帰りが遅くなった次女やワイフの迎えが今夜の私の最大のミッションだったが、いよいよ児童文学の再校ゲラの修正に着手である。
 ありがたいことに、昨夜「ロキソニン」を服用してから偏頭痛がほとんど襲ってこない。
 
12月22日(水)「若いイケメン医者の忠告・・・の風さん」
 周囲が心配し、私自身も不安になっていた偏頭痛は、幸い昨日は襲ってこなかったが、その前日まで6日間続いた。
 それで、今日は、急遽有休をとり、総合病院へ出かけた。
 相談受付で、どの診療科から受診すべきか尋ねると、症状からすぐ「脳神経外科を受診してください」と言われた。たらい回しにされる心配がなくなった。
 ドクターは若いイケメン先生だった。
 私の説明の後、二つ三つの質問と、眼球や手、腕の運動機能をチェックした後で、イケメン先生は、あっさりと「眼精疲労や肩凝りと同じ、疲労やストレスからくるものでしょう。年をとると以前とは違った症状が出るのです」と言われた。
 ちょっと不満の私の心理まで読み取ったらしく、続けて
 「でも、心配なら、CT検査をしましょうか」
 と言われたので、飛びついた。なんとか出血でないことの確認というか証拠はつかみたかった。
 昼食後、生まれて初めてCT撮影を受けた。
 この日最後の受診者となった私の番がようやく回ってきた。
 「特に頭痛の直接的な原因と思われる異常はありませんでした」
 とのイケメン先生の所見に、目的を達成した私は、安堵の胸をなでおろした。
 ところが、現実は、それだけでは終わらなかった。
 「しかし、実生活で、あまり無理をしてはいけませんよ。もうお若くないのですから」
 「???」
 イケメン先生は私の頭部のCT断面写真を示して言った。
 「年齢よりも脳の萎縮が進んでいます」
 「ど、どういうことですか?」
 イケメン先生は、写真の見方を詳しく教えてくれた。
 頭蓋骨と脳と間の隙間が明瞭に映し出されていたのである!
 2次元写真でだまされてはいけない。もし脳の直径が10%縮んでいたなら、脳の体積としてはその3乗すなわち30%の減少を意味しているのである。
 ショックの私は、気休めの「ロキソニン」をたっぷりもらって帰宅した。
 ミッシェルのハンドルを握りながら気分はイマイチだった。
 昨日とうってかわって青空が広がっているが、胸の中には重い雲が横たわっていた。
 帰宅して、落ち込みながらも、再校ゲラの修正に取り組んだ。
 多忙なときほど外出しなければいけないのは今日も同じで、夕方からまた自宅を出た。
 電車とバスを乗り継いで、来年の新職場の忘年会に出席した。
 行きの車中で、持参した本を読了した。今年37冊目である。
 イケメン先生から深酒は脳の萎縮を促進すると聞いていたので、今夜の飲み放題は、私には意味がなかった。
 しかし、たくさんお土産をもらって、忘年会は楽しく終了した。
 今日2度目の帰宅をし、ワイフにさまざまな報告をした後、また再校ゲラの修正に取り組んだ。
 午前3時まで頑張ったができなかった。

12月23日(木)「再校ゲラの修正は終わったものの・・・の風さん」
 幸い偏頭痛がおさまっている……というより、偏頭痛は脳萎縮に変換された(笑)、新たな頭痛の種である。
 出社して、今日も超特急のスピードで次々に懸案事項を処理していった。
 やはり、これ以上は無理と判断して、今夜の出張(三重県)は断念した。来年に延期する。
 昼食後もわき目もふらずに仕事を続けたが、こうやって極端なやり方をするから肉体がボロボロになるのだろう。イケメン医者の忠告が脳の縮んだ頭に浮かんだので、今日も早めに退社した。
 今夜も再校ゲラの修正の続きに取り組んだが、明日までにやるべきことはこれだけではない。
 再校ゲラは出版社へ提出すればひとまずOKである。
 実は明日までに別の出版社と約束していたことがあったのだ。
 それが全くできていないのである。
 今夜は徹夜の覚悟だった。
 再校ゲラの修正が一段落したのは、午前3時過ぎだった。
 それから明日の出張の用意をしているうちに、どうにも起きていられなくなった。
 書斎にお昼寝マットを敷いて、目覚ましをかけて横になったのが午前4時である。
 
12月24日(金)「偏頭痛の真の原因が解消?・・・の風さん」
 うつらうつらしているうちに、精神的に耐えられず、午前5時半に体を起こした。
 それからシャワーを浴び、いくらか気持ちを奮い立たせて、午前6時に再び執筆マシンに向かった。児童文学の仕事ではない。
 メモ帳を立ち上げて、頭に浮かんできた小説のプロットを書くのである。
 そう。私が某出版社に約束していたのは、明日までに小説のプロットを説明することだった。
 30分間でだだーっと書き並べてみたものの、イマイチ骨格として弱く、一本通っていなければならない筋がない!
 しかし、もう私には時間がなかった。急いでプリントアウトしてカバンに放り込んで階下へ向かった。
 最寄の駅を7時22分に出る電車に飛び乗った。
 名古屋駅で出版社や大学の先生のためのお土産を買った。
 行きののぞみの車中で、今朝プリントアウトした紙の余白に、思いつくままコメントを記入しているうちに、睡魔も襲ってきたが、弱かった骨格が固まり、通っていなかった筋が明瞭に現れてきた!
 大学の先生との打ち合わせは、以前から続けているテーマと新たなテーマである。先生の質問に次々に答えながら続けた。新たなテーマについては、来年の課題が明確になってきた。また忙しくなる。
 某出版社の編集者が指定する待ち合わせ場所まで急いだ。
 東京では走るような速さで歩く。
 比較的何度も歩き回っている地域に待ち合わせ場所はあったが、初めて入るホテル1階の喫茶店である。しかし、こうやって土地勘は、1次元から2次元そして3次元的に精度が増していく。
 「どうです? できましたか?」
 いきなり質問されてドキッとした。
 お土産(賄賂みたいなもの)は渡したが、何の効果もない。
 そう。年末は、出版社は忙しいのだ。
 「何も考えていないなら、こちらから希望しましょうか?」
 「あ、いえ、何も考えていないわけではなく……」
 恐る恐る、プロットをしゃべり出した。
 編集者が律儀にメモをとる。
 途中でちょっと質問が入ったが、じきに、真剣に聞いているのが分かった。
 こちらも弁舌に熱がこもる。
 「面白いじゃないですか。それでいきましょう」
 信じられない好反応に、私は、今朝プリントしたメモを取り出した。
 「なーんだ、あるんじゃないですか?」
 編集者の顔が蓮舫大臣に見えた。そう。編集者は女性である。
 「これ、もらっていいですか?」
 「はい。もちろんです」
 今朝の6時から考えたことが、今日までの最大の懸案事項を解決に導いたのである!
 偏頭痛の真の原因もここにあった可能性がある。
 忙しい編集者とはわずか30分ほどの打ち合わせだった。
 土地勘ができている私は、そこから歩いてJMAの本部に向かい、親しい理事と面会した。
 一昨日訪問した名古屋のJMAの総本山がここである。
 こちらも年末で忙しい中、わずか30分ほどの面会で、さまざまなことを話し合うことができた。
 東京駅で早めののぞみに乗車変更して家路についた。
 今夜はクリスマスイブである。
 
12月25日(土)「絵本も作りたくなった風さんの巻」
 外は寒風が吹きすさんでいたが、久しぶりに爽快な気分の朝を迎えた。
 やはり重い懸案事項を抱えていて偏頭痛が生じていたに違いない。
 地元の図書館の「お話会」を見学してきた。鳴海風が読み聞かせに挑戦するための、第1ステップである。
 4人ほどのチームでやっていたが、洗練されたテクニックや演出に、すっかり魅了された。
 一人だけでなく、登場人物が多い場合は、ちゃんと役割分担されている。自前の大きな紙芝居もあるし、演出として音楽を流したりもする。クリスマスなので、ムードも盛り上がった。
 そして、一番感じたことは、読み聞かせには「やはり絵本だ」ということである。
 来年出版する児童文学は、必ずしも読み聞かせには向いているとは思えない。
 しかし、小さなこどもにもメッセージを、となったら、絵本を作らねばならない。そう。鳴海風は、すっかり絵本にも手を出そうと思い始めたのである。
 帰宅後もマイペースで雑務を片付けた。
 夕食後は、久しぶりにタカラヅカの「黎明の風」(DVD)を観た。完成度が高い。

12月26日(日)「やってもやっても・・・の風さん」
 昨日から、作成した「to do list」にしたがって、着々とこなしてきたが、膨大な件数があって、とてもやりきれない。
 トレーニングも諦めて頑張ったが、時間の経過とともに、また憂鬱な気分になってきた。
 就寝前の最後のひと踏ん張りと思って、益川先生へ送る拙著の準備を猛烈なスピードでこなして、本日はこれで閉店、ということにした。
 明日からまた会社だが、自分のことをやる時間はきわめて限られる。
 前途がまた暗くなってきた。
 
12月27日(月)「今日もたまっている仕事の処理・・・の風さん」
 いつものように出勤途中にコンビニでレターパックを投函した。単行本が入っているので、コンビニの大きなポストでないと入らない。
 午前中は会議が続いたので、たまっている雑務はほとんど処理できなかった。
 日本機械学会から論文賞を受賞(まだ内定ね)できたことで、社内表彰も受けることになり、その対応でちょっとバタバタした。浮かれたのではなく、辞退すべきかどうか迷ったのである。結局、周囲の声に押されて受けることにした。基本的に喜ばしいことは多くの人と分かち合うべきなのだ。
 天気もよかったので、ミッシェルで往復32km走って、新職場へ荷物を少し運んだ。
 会社のパソコンで先週から社外メールが受信できない状態だったのだが、夕方、同僚のサポートを得て、復活した。同時に、サーバーにたまっていたメールがどさどさっとダウンロードされ、その中に重要なメールが入っていた。今夜返信を出さなければならない。
 定時後、連休前恒例の交通安全映画を観てから帰宅した。
 また睡眠不足で眠くて、家でもたまっている仕事は少ししか処理できなかった。
 それでもベッドに入ってから、読みかけの本を読了してしまった。今年38冊目である。
 
12月28日(火)「うれしい返信・・・の風さん」
 別に年末だからというわけではないが、今日も終日走り回った(気分的に)。
 午前中は会議。昼休みに、屋外で、職場で製作した凧の記念撮影があった。地元の凧揚げ行事のために製作所が広場を提供しているので、職場からもときどき参加するのである。流行のキャラを描いた大きな凧である。竹の骨の向きが逆のような気がしたが(製作に参加せずに何を言うか)、立派に舞い上がればOKだ(でも、少し不安)。
 そのまま16km離れた来年の新職場へミッシェルで向かった。荷物を少し運んだのと、向こうで年末の仕事おさめに同席するのである。
 すぐに戻った。
 だんだん残り時間が少なくなってきた。最後に何をやるか決断しなければならない。
 今朝、外部(某社団法人)からフォローのメールが届いていた書類作成をすることにした。これは専務になり代わってすることなので、かなり難しい。任せられていることなので、結局、持論を展開し、ファックスで送信した。年明けに注文をつけられても、その対応はなかなか難しいぞ。
 「蛍の光」の放送が始まって、退社時間になった。
 知らない間に雨が降り出していた。
 買い物をして帰宅した。
 昨日に続いてうれしいメールが届いていた。東レ経営研究所特別顧問の佐々木常夫さんからだった。秋田高校の9年先輩で、お会いしたいと昨夜メールを送ったところ、年末の時間のない中、「会いましょう」といううれしい返信だった。経営学は私の個人的な研究テーマなので、先輩からもご指導をいただきたいと思っている。

12月29日(水)「現実はなかなかうまくいかない・・・の風さん」
 たまっている仕事を少しでも年内中に片付けたいと、勢いよく飛び起きた。
 今日の目標は、エンターティンメント時代小説のプロットと年賀状の作成だ。
 プロットは、いざ始めるとこれがなかなかうまくいかない。なぜかわからない。私の唯一の芸術家らしい面かもしれない(事務的なことは、あるときは粘り強く、またあるときは効率的にてきぱきとできるのだが、創造的なことになるとすぐ頓挫する)。
 昼食後、疲れて昼寝してしまい、寝覚めた後は、ネットで映画を(途中まで)鑑賞してしまった。
 しかし、今日も、ここに書くべきすごいことがあった。
 月曜日の朝お送りした手紙に対して、益川先生から(秘書に指示されて)返事が届いたのである。迷惑をかえりみずお送りした拙著に対するお礼ということで、欲しかった益川先生(と小林先生)の人形携帯ストラップが同封されていた。そこら中に見せびらかしたいところだが、とりあえずワイフに自慢した。
 「わー。かわいい!」
 ノーベル物理学賞の先生方に対して、何たる発言。
 とはいえ、私も日本の科学技術の振興のために、微力を尽くしたいと強く思った。
 それから、これはもう毎度驚くばかりなのだが、楠木誠一郎さんから、びっくり仰天の、2冊同時刊行という本が送られてきた。『武蔵 三十六番勝負』(角川文庫)である。三十六番勝負なら、あと34冊続くのかもしれない。
 吉川英治の『宮本武蔵』は、ほぼ100%がフィクションである。しかし、傑作のために、そのフィクションが史実のように思われている。楠木武蔵はその「縛り」からどのように飛躍しているのだろう。
 あと、今月お世話になった近江神宮時計博物館の副館長で、現代の名工でもある、東條先生からもはがきが届いた。スイスで時計師の修行をしている日本人のことが、先日、新聞のコラムに載っていてうれしく思ったが、時計師の世界も、私の研究テーマのひとつである。
 東京農工大の涌井先生からのメールもあった。私の論文が、先生の論文と一緒に「日本機械学会論文誌」に掲載されることに対する、一種の激励だった。もう二度とないことかもしれない。私にとってはうれしいことなのである。
 夕食後、ワイフの年賀状作成の手伝いをした。深夜までかかったため、自分のができなかった。
 結局今日は、目標未達であった(涙)。

12月30日(木)「やっと年賀状を投函・・・の風さん」
 連休初日でずっこけた翌日の今日は寝坊した(笑)。
 ときおりみぞれ交じりの冷たい雨が降る寒い日である。
 日本機械学会からやっと論文誌が届いた。生産システム特集なので、分厚い論文誌の中で生産システム関連の論文が最初に集められている。その中で、私の論文がトップを飾っているのは気持ちいい。もちろん光栄なことであり、私個人の力ではなく、多くの人々の業績と指導があってのことだ。私はそれらを新たな視点から論文にまとめ上げただけである。
 同時に、「JMAマネジメントレビュー」新年号も届いた。これは学会活動の延長線上にある経営学の関連だ。そして、作家活動とやがて融合させていくために必要な雑誌である。
 郵便物を受け取って喜んでばかりはいられない。昨日できなかったことをやらねば。
 年賀状作成である。
 例年、年賀状は2種類作る。作家用と個人用である。家族共通はワイフに任せている。
 凝ったものを作る気はないが、枚数が多いので時間がかかる。
 今年は作家用と個人用に比率が約2対1で、昨年の実績と受け取った喪中はがきを考慮して合計201枚印刷した。とにかく投函してしまわないと落ち着かないので、ワイフのクルマを借りて、近くで最も大きな郵便局まで行った。午後8時である。
 印刷している間に、ネットで無料の映画を鑑賞した。ブラッド・ピットとトム・クルーズの「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」。人間から吸血鬼になりきれない主人公の葛藤を描いた作品だ。私が今準備しているエンターティンメントが、まさにこのパターンである。
 似た映画としては、「ロボコップ」の第1作、一連の「スパイダーマン」などがある。
 オーソドックスなテーマである。
 長女が帰省してきた。会社を辞めるまで3年間、年末年始の休暇はなかった。ホテルのレストランは書き入れ時だからだ。
 一緒に夕食を摂り、やけに食が進んで食べ過ぎたせいか、それとも年賀状作りで疲れたのか(情けない)、食後はぐったりしてしまい、風呂に入って私だけ先に寝た。

12月31日(金)「大晦日も小説家・・・の風さん」
 朝から雪が降っている。寒い大晦日になりそうだ。
 今日も来年のチャレンジになるエンタメ時代小説のストーリーを朝から考えた。時代考証は後から考えるとして、とにかく面白いストーリーを追求する。自由な発想というのも、なかなか難しい。
 頭がかちんこちんに固まったところで、またネットで遊んでしまった。今日は、デジタル絵本だ。雨月物語から「夢応の鯉魚」を観た。面白かった。作者の上田秋成が、大坂で江戸後期に近い時代に生きていたことを知って驚いた。
 小学生の頃、自分で書店で買った最初の単行本が、この『雨月物語』ともうひとつ『今昔物語』だった。あれから50年近い月日が経過したことに、今はただ驚くばかりである。
 恒例の、鳴海風の今年の仕事を整理しておこう。

【小説】
 短編「猫と女房」
    「大衆文芸」2010年夏の号(新鷹会)

【出版】
 共著
    『時代小説を書く』(雷鳥社)(2010年3月)
    『平成22年度代表作時代小説』(光文社)(2010年6月)
    『日本史 誰も教えてくれなかった 大事件の前夜』(新人物往来社)(2010年10月)

【読み物】
 「江戸の天文測量機器に見る科学技術のめばえ」
    日本機械学会東海支部主催第6回座談会
    「和の科学・技術・技能から学ぶ」資料(2010年11月24日)
 「江戸時代の天文暦学者 間重富」
    月刊「技術教室」(農文協)で連載中
 
【エッセイ、随想】
 「起電力」
    SCM時代の製造マネジメント研究部会
    「製造マネジメントの過去・現在・未来」資料(2010年3月20日)
 「ドイツ、BMWの旅」
    「大衆文芸」2010年春の号

【講演・トークなど】 注)上と関連あり
 SCM時代の製造マネジメント研究部会で講演(2010年3月20日)
 愛媛の和算展で講演(2010年3月27日)
 「小栗まつり」遣米使節150周年記念シンポジウムでパネラー(2010年5月23日)
 名古屋のサイエンスカフェ「ガリレオ・ガリレイ」に登壇(2010年8月29日)
 日本機械学会東海支部主催第6回座談会で講演(2010年11月24日)
 
 
【その他】
 日本能率協会 生産技術マネジメントスキル試験CPE-MEに合格(2010年2月20日)
 日本機械学会生産システム部門講演研究発表大会で発表(2010年3月15日)
 愛知工業大学大学院後期課程を卒業し、博士(経営情報科学)取得
 日本機械学会に投稿した論文が、論文集C編(2010年12月)に掲載されるとともに、優秀講演論文として表彰されることが内定(表彰は2011年3月)
 愛知学院大学で講演(半分は鳴海風として)

 昨年と比較したい方はこちら
 2011年は、小説家としてさらに飛躍するべく活動しますので、皆さん、応援よろしくm(_ _)m(←これって、毎年同じパターン(笑))

2011年1月はここ

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